日本の価値観からの解放の道しるべ
留学中の楽しみの一つは、異なるバックグランドを持つ友人たちと会話ができること。
今日、授業で仲良くなった友人の一人とご飯に行ってきました。
腕の太さほどある巨大なブリトーにかぶりつきながら、下らない話から真面目な話まで、気が付いたら3時間近く話し込んでいました。
(巨大なブリトーはきちんと2人でシェアしたので、昨日の決意が揺らいだ訳じゃないですよ!)
そこで、印象的だった話。
人生における価値観についてです。
職業や家族のことなども関係なく、どんな考えで人生を歩んでいきたいのか、そう聞かれました。
私は日々考えていることを淡々と述べたのですが、彼はしばらく考えこんでから
「どんな小さなことも全てを楽しんで、愛したい。そして人と人との繋がりを大切に、あたたかい関係性の中歩んでいきたい」
と言いました。
彼は毎日ご飯を食べること、自転車に乗ること、着替えること、遅刻もしてしまうこと、日常のありふれている小さな小さな出来事も全部愛していきたい、と続けます。
だって、それが人生だもの。
その積み重ねが人生だから、せっかく生きているのならその全てを愛して楽しみたいんだ。
そう、どこか決意もこめた、でも光を携えた瞳で語りました。
彼自身、あまり裕福ではない家庭で育ち現在も政府からの奨学金で通い、苦労してきた背景があります。さらに、彼は学内インターンシップをやりながら今学期20単位以上履修し(ちなみに私は12単位(笑)20単位も取っている学生は聞いたことがありません)かなり忙しい生活を送っています。
しかし、その全てをとても生き生きと、楽しそうにこなしているのです。
そこには大変さを微塵も感じさせません。
どの授業も楽しい、大変だけど学びが大きいしワクワクするからやめられない、そう語る彼は本当に自分の人生を生き、謳歌しているのだと感じます。
そんな彼も現在4年生であり、将来のことが気になるようで、卒業後どうするのか聞いてみました。
現在職を探し中らしいのですが、自分の好きなgeography(地理)に関する職が良い、と再びキラキラした瞳で語ってくれました。(彼の専攻はgeographyなので)
大学中に自分の学びたいことを目一杯学び、進路もじっくり決めていく。
そんなシンプルな生き方が純粋に素敵だと思うと同時に、自分を恥じました。
現在大学3年で、同期は就職活動をスタートさせている時期です。
思えば、日本での学生生活は何だかんだ無意識のうちに就活を意識してしまっていた気がします。そして、学びたいことを学ぶというよりかはどれだけ楽をして単位を取るか、そのことだけに注力していました。
留学中は、就職活動のことなど忘れて学びたいことをひたすら学んでいるのですが、それでもふと、これでは就活で不利になるんじゃないか、もっと就活で話せるようなことをしないといけないんじゃないか、そんな疑念に襲われるのです。
そんな感情の板挟みになり、結局好きで学んでいることに集中できなくなってしまう時期もありました。
しかし、人生における価値観を大切に、のびのびと学び、将来を見据えている彼の姿に自分がちっぽけで、がちがちに縛られていたことに気が付きました。
もっとシンプルに考えて良いんだ。
だって私の人生だもの。
そんな風に、今までパンパンに膨れ上がっていた自分に対する疑念がしぼんでいくのを感じました。
でも、やっぱりどこかで日本の価値観(就活、楽単…)が根強く居座っています。ずっとずっと日本で過ごしてきた私がこの短期間の留学で完全にマインドを変えることは簡単ではありません。
それでも、日本にいたら知ることの出来ない価値観を友人から聞くことが出来、感謝の気持ちと新しい道に少しワクワクします。
自分に素直に、生きたいですね。