好きなことはありますか?躊躇するあなたへ
好きなことの話をしようと思います。
私は、音楽が好き。
特にアコースティックギターが好き。
弾くのも、アコギの音を聴くのも、大好き。
アコギの静かで、ささやかで、でも力強い音を聴くたびに体がしびれる感覚。
たまらなく好きなのです。
でも、そんな大好きなアコギの音も、アコギを弾くことも、この1-2年の間まともにしてきませんでした。
好きなことは変わりませんが、自信をもって「好き」と言えなくなっている自分がいます。
好きだけど、最近全然触れてない。これで「好き」と言えるのかな。
アコギを弾くと普段の自分から解放され、夢中になる。
素敵なアコギの音を聴くと思わず体がじーんとなる。
その感覚は今も変わっていないのに、です。
「好き」に程度はあるのでしょうか?
これは多くの人が直面する問題かと思います。
「好きなことは何?」と聞かれても、好きだけど特別うまいわけでも詳しいわけでもない時、答えることをためらいますよね。
好き=精通している
というイメージをなんとなく持ってしまいがち。
だから、精通していない時に本当に好きなのに「好き」と言えなくなってしまう。というか、精通していないということは本当は好きじゃないのかも?と思ってしまう。
でも、何だかそれってもったいないなと。
感情はもちろん程度を持ちます。ちょっと好き、普通に好き、大好き、すごい好き。
色々な言葉で表現されます。
でも、みんな「好き」であることは一緒。
むしろ、程度を気にしてその「好き」の感情を見逃してしまうことこそが、もったいない。
自分が好きだなと感じたものって、何か絶対共通項があるはずで、自分の好きなものを認識することは「自分を知る」ことに繋がると思うのです。
小さな好きでも、大きな好きでも。
好きは好き。
大事なのは何が自分の琴線に触れているのか。
どんな時に感情が高ぶるのか。
一つ一つの感情に丁寧でいることで、自分にとって大事なものが見えてきます。
同じものを見ていても、人によって感じ方は全く異なる。
だからこそ人って面白いなと思います。
「好き」を大切にすることは、自分のアイデンティティにもつながるのではないでしょうか。
きっとその「好き」を持っているのは、自分だけなのだから。
今度「好きなものは何?」と聞かれたら、自信を持って、音楽・アコギだと言おう。
そんなことを、大好きな音楽の世界に久しぶりに没入した夜に思いました。