備忘録ですよ。

20代。留学中にブログを始め、思いついたように小さな想いをつぶやきます。

好きなことはありますか?躊躇するあなたへ

好きなことの話をしようと思います。

 

私は、音楽が好き。

 

特にアコースティックギターが好き。

 

弾くのも、アコギの音を聴くのも、大好き。

 

アコギの静かで、ささやかで、でも力強い音を聴くたびに体がしびれる感覚。

 

たまらなく好きなのです。

 

でも、そんな大好きなアコギの音も、アコギを弾くことも、この1-2年の間まともにしてきませんでした。

好きなことは変わりませんが、自信をもって「好き」と言えなくなっている自分がいます。

好きだけど、最近全然触れてない。これで「好き」と言えるのかな。

 

アコギを弾くと普段の自分から解放され、夢中になる。

素敵なアコギの音を聴くと思わず体がじーんとなる。

 

その感覚は今も変わっていないのに、です。

 

「好き」に程度はあるのでしょうか?

 

これは多くの人が直面する問題かと思います。

「好きなことは何?」と聞かれても、好きだけど特別うまいわけでも詳しいわけでもない時、答えることをためらいますよね。

好き=精通している

というイメージをなんとなく持ってしまいがち。

 

だから、精通していない時に本当に好きなのに「好き」と言えなくなってしまう。というか、精通していないということは本当は好きじゃないのかも?と思ってしまう。

 

でも、何だかそれってもったいないなと。

 

感情はもちろん程度を持ちます。ちょっと好き、普通に好き、大好き、すごい好き。

色々な言葉で表現されます。

でも、みんな「好き」であることは一緒。

 

むしろ、程度を気にしてその「好き」の感情を見逃してしまうことこそが、もったいない。

自分が好きだなと感じたものって、何か絶対共通項があるはずで、自分の好きなものを認識することは「自分を知る」ことに繋がると思うのです。

小さな好きでも、大きな好きでも。

好きは好き。

大事なのは何が自分の琴線に触れているのか。

どんな時に感情が高ぶるのか。

 

一つ一つの感情に丁寧でいることで、自分にとって大事なものが見えてきます。

 

同じものを見ていても、人によって感じ方は全く異なる。

だからこそ人って面白いなと思います。

 

「好き」を大切にすることは、自分のアイデンティティにもつながるのではないでしょうか。

きっとその「好き」を持っているのは、自分だけなのだから。

 

今度「好きなものは何?」と聞かれたら、自信を持って、音楽・アコギだと言おう。

 

そんなことを、大好きな音楽の世界に久しぶりに没入した夜に思いました。