「かわいい」はかわいくない!?秘められた本当の意味とは
今までも度々取り上げている日本のポップカルチャーに関する授業で、再び興味深い話があったのでお伝えしたいと思います。
今回のテーマは「かわいい」
「かわいい」という言葉は現在、英語でそのままKawaiiと訳されるほど市民権を得ており、日本の若者文化を代表する言葉ということが出来ます。(アメリカ人で知らない友人は多いけど…笑)
私たちは「かわいい」という言葉を様々な場面で使います。
かわいい動物、キャラクター、赤ちゃん、建物、食べ物、アイドル、ファッション、言葉遣い、見た目、考え方…
「かわいい」ってとっても便利な言葉。
「やばい」「すごい」も汎用性という点で群を抜いていますが、「かわいい」は特に女性にとっては日常的につい口をつく言葉ではないでしょうか。
ここから、日本と海外での「かわいい」に対するイメージの違いが分かりますね
ある文献で面白いなと思ったのは、「かわいい」という言葉は単純に
「かわいい」=キュート、愛らしい、純粋
といった意味で使われているわけではないこと。
実は、かわいいという言葉は「哀れ」という意味合いも含んでいるんです。
例えば赤ちゃんを見たとき、かわいいと思うのは彼らがまだ未成熟で幼稚で身体的にも劣っているから。
トトロやドラえもんのような手足が短いキャラクターをかわいいと思うのは、彼らが身体的に不自由な部分も持つから。
「かわいい」と「かわいそう」は表裏一体の言葉なのです。
この事実を知り、なるほどと納得すると同時に今後「かわいい」という言葉を使うのをためらってしまいそうです。
よく男性たちが、女性が何に対しても「かわいい」ということが理解できない、気持ちが悪いという話を耳にしますが、男性にとっての「かわいい」は単なる愛らしい、という意味なのでしょう。でも女性にとってはもっと複雑で多様な意味があるのです。
さらにさらに
もっと大切なことがこの言葉には隠されています。
それは、「社会への反抗」
「かわいい」という言葉が使われるようになったのは、「かわいく」振る舞い、「かわいい」ものを愛することで、自分たち自身を幼児化させ、こんな幼いのだから社会の責任なんて果たせないよ!と、大人になりたくない若者たちの気持ちを表してくれているから。
日本社会って、大人になること=社会の決まりに入らなくてはいけない、という苦しいものとして語られることが多いです。
でも、そんな風になりたくない!逃げたい!
そう思った若者が、「かわいく」あること=未熟で幼稚 で現実逃避をしている。
それこそが「かわいい」の本質なのだそう。
うーむ。
今まで全く意識せず毎日発していた言葉にこんな深い社会的意味があるとは。
「かわいい」は大人になりたくない私たちにとってとっても都合の良い言葉だったんですね。
この観点は「かわいい」文化の当事者である私にはなかったもの。
勉強になります。
しかし、同時に疑問も感じます。
時代、変わっているんじゃない?
この分析がなされたのは1990年代前後。日本はバブル絶頂期。
今の日本は、もうただ「かわいい」だけで責任逃れ出来なくなっていると思うのです。
皆、「かわいく」振る舞ったところで誰も自分の将来の保証はしてくれないこと、社会に出たくなくても生きるためには出なくてはいけないことを自覚しています。
バブル期の日本では、「かわいく」ても何とかなったかもしれません。(たぶん今よりは何とかなっていたはず…)
でも、もう違うと思うのです。
「かわいい」は相変わらず毎日飛び交うし、いたるところに「かわいい」はいます。
でも、「かわいい」と表現しつつも、皆心まで「かわいく」なりたいとは思っていないと思うのです。
そりゃ、出来れば大人になりたくないし、責任だって逃れたいし楽したいけど。(笑)
それがいわゆる「悟り世代」と言われている所以かもしれません。
ただ「かわいく」甘えて逃げるより、立ち向かっていくことの方が評価される世の中にシフトしていっている気がします。
良い悪いの話ではなく、文化も時代も考え方も社会も、全てが移り変わっているのです。
今の時代の流れを把握すること、そして自分の文化の担い手となっていること。
今まで無意識でいたことに意識的でいたいなと思います。
さてさて、ブログも書いたしテスト勉強にも疲れてきたので、「かわいい」動物の動画でも観て、癒されてこようかな。
まだまだ「かわいい」から抜け出せそうにありません。