優しいギターの音と、厳しい社会の変化
今学期からアコースティックギターのクラスに通い始め、今日2回目に参加してきました。
習うのはギターを教え始め35年、背中まである白髪を一つに束ねた、どこか昔のロックンロールを感じる優しい顔のおじいちゃん。
おじいちゃんと言いましたが、音楽に携わっている人はどういう訳か若くあり続ける人が多く、このおじいちゃんも例外ではありません。
生徒が来るのを待ちながら、ギターを感情の赴くままに奏でる姿は人生を謳歌しているようで、とても生き生きとしています。
そんなおじいちゃんと一緒に、早めに教室に着いた私は他の生徒が来るのを待っていました。
女の人が一人、重そうなギターを抱えて登場。
…。
本日の生徒は以上でした。
まさかの生徒2人におじいちゃんも戸惑いを隠せない様子。
(このクラスは単位になるわけでもなく、ただの趣味のものなので強制力はないのです)
そこで優しい顔のまま、20年前には毎学期30~40人以上の生徒を教えていたと語ってくれました。
それが、ここ数年になりギターを弾く人口がすっかり減ってしまった、と嘆くおじいちゃん。
無料で音楽が聴けるだけでなく、今ではスマホやタブレットで簡単に楽器を演奏できてしまいます。
そんなこと一体誰が予想しただろう、そんな風におじいちゃんは続けます。
最近テクノロジーの発展などを考えていた私にとっては、とても気になる話題。
確かに楽器を弾けなくとも、持っていなくとも音楽に簡単に触れられます。でも、ギターを持っている友人を私はたくさん知っていますし、何より自分の手で楽器が弾けることとアプリで弾くことはあまりにも違いすぎる気がしたのです。
アプリで弾く=楽器を少し弾いてみたいけど、一からスタートさせるのは面倒な人
実際に楽器で弾く=アプリじゃ物足りない。自分で弾きたい人
と、全くターゲットが異なる気がするのです。むしろ、アプリの登場は今まで関心があったけど始められなかった人たちにとって、楽器を弾くハードルが低くなり、実際に楽器を弾くきっかけにもなり得るのではないでしょうか。
そして、おじいちゃんのギタークラスに通う生徒数が減った理由は、教えてもらわなくとも無料で、自分で学べる機会が増えたからではないでしょうか。
Youtubeを開けばギターの弾き方を丁寧に説明してくれる動画はたくさんあります。
分からないことがあれば、ググれば大抵のことは出てきます。
昔は対面で教えてもらうしかギターの上達の方法がありませんでしたが、現代はリソースが多様化し、かつそれが皆に開かれています。
つまり、様々な形の「おじいちゃん」が出現したのです。
私のようなギターを始めたい人(=消費者)にとっては嬉しいですが、おじいちゃん(=供給者)にとっては競争が激しくなり、渋い状況です。
なんだか、便利な時代って消費者である限り恩恵をまるっと受けられて最高ですが、供給者側になった瞬間話が変わります。
まだ学生の身分である私ですが、いつまでもこの状況に胡坐をかいてはいられない、そんな危機感を感じました。
とはいえ。
ギターを心から愛し、鼻歌をうたいながらギターを奏でるおじいちゃんの姿にそんな考えもちっぽけに思え、止まっていた手を動かし、ギターを弾き始めました。
教室に染みわたる、少し不器用なギターの音。
やっぱりこの音が好き。