テクノロジーの発展と忘却
現在、テクノロジーの発展に関する授業を履修しているのですが、そこで何だか不思議な感覚に襲われました。
今回の授業では社会・テクノロジーの発展の関係とそれに対する反応について学びました。
情報の伝達は「口語→書く→印刷→エレクトロニック」の順序で発達してきたそう。
昔の人は口伝えでしか知識や考えを残すことが出来なかったのに、今では一瞬にして情報・アイデアが世界中に拡散するなんて凄まじい変化ですよね。(ブログもその一種だ!)
そんな授業内容を聞きながら、「きっと昔の人は今の私たちの姿なんて想像もつかなかっただろうなあ。」とぼんやり。
そしてふと思ったのです。
あれ、私ももっと不便な時代にいたよね?
現役大学生、世間的にはデジタルネイティブ(インターネットやパソコンの中で育ってきた世代。1980年代以降生まれくらからをさすらしい)と言われている私ですが、幼いころに観ていた映画は全てDVDではなくビデオだったし、カセットテープだってたくさん持っていました。
初めて手にした携帯電話もガラケー。
小学校の頃は電話を使うのに憧れて、テレフォンカードを大事に大事にランドセルに忍ばせ、ごくたまに使う公衆電話にわくわくしたのを覚えています。
家にあるテレビは画面よりも幅が分厚く、なかなかな存在感。
そんな環境でずっと育ってきました。
しかし、ふと気が付くといつの間にかガラケーからスマホに、分厚いテレビから薄型に、カセットからipodに、ビデオからDVDに移行していました。
それらの変化はライフスタイルを変えるほどの大きなものだったのに、本当に「気が付いたら」すべてが変わっていたのです。
スマホがない生活、パソコンがない生活、ネットがない生活なんて考えられません。
でも、今の生活が確立されたのはこのほんの数年間の話。
それなのに、その生活に依存していると思うとぞっとします。
発展することは便利にもなりますが、同時に何かを蝕むんじゃないか、そんな感覚に襲われたのです。
(昨日見た『もののけ姫』の影響かな、、、。(笑))
そして同時に、私たちはすぐに「忘れる」のだと感じました。
LINEがなかった時代に、どうコミュニケーションを取っていたかなんて日々思い出しません。
Youtubeがなかった時に、どうやって暇つぶしをしていたかなんて意識しません。
発展の怖いところは、私たちに「なにこれ超便利!」と最初の一瞬だけ思わせて、その後素知らぬ顔ですっと、私たちの生活に馴染んでいくことです。まるで昔からそこにいたように。
それは、柔軟な生活をしていく上で大切なことかもしれません。
でも、一方で忘れたくないことまで忘れてしまいそうな気がするのです。
カセットテープをびりびり引っ張って親を困らせたこと。
小さなテレビ画面にみんなで肩を寄せ合って観たこと。
CDを皆で貸し借りしたこと。
そんな経験があるから今があること。
次の発展は何だろう、とついつい急いでしまいますが、たまには今までの軌跡を振り返ってみるのも良いかもしれません。
こんな短時間で発展したことへの感動と、そして忘れたくない何かがそこにはひっそり輝いているはず。