仲良くなるということ
今日嬉しかったこと。
今学期から参加している団体の一員になれた気がした。
いつものミーティング終わり。
キャンパス内でアジア人中心の団体が一気に勢ぞろいしてナイトマーケットを開催していました。
1人ミーティングから離れ、ナイトマーケットの様子を見ている時。
その団体の主要メンバーたちがぞろぞろ来て、一緒にナイトマーケットを回ることに。
ご飯をつまみながらみんなでだべって、メンバーの運転で家までみんなで帰って。
ロスに行きたいね、ソルバング(サンタバーバラ周辺の唯一の観光地)にも行きたいね、なんて話しながらみんなで爆笑して。
そんな日本だと当たり前のわいわいする感じがどうしようもなくうれしくて。
5人以上いると日常会話のスピードが速すぎるしスラングばかりで全然会話の意味はわからないけど(笑)、それでも同じ空間にいて笑い合えることがたまらなく嬉しかった。
前学期は勉強をしすぎてこんなだべったり、いわゆる「学生らしい」ことを全然していなかったなあと。
だからこそ、コミュニティに対する帰属意識も持てずにふわふわしていたけれど。
この団体でもう少し頑張ってみよう。
そう思いました。
ちゃんと馴染んでいこう。
日本だったら友達を作ることにそこまで苦労しなかった分、英語で自分を表現できないことにいつももやもやしてしまいます。
自分のキャラが出せなくて。
面白いことだって言いたいのに。
変なことだってしたいのに。
自分が出し切れないなあ。
そんな想いに取りつかれていましたが、日常会話ほどいろんな手段で自分を表現していこう。
このとても素敵な人たちともっと仲良くなりたい話したい。
そう思いました。
そう思わせてくれた彼らに感謝です。
全米初公開!?『君の名は』を観てきた
今日、友人に誘われて全米で劇場での公開が初!?とウワサの(違ったらすみません)『君の名は』を観てきました。
実は私この大ヒット映画観たことがなかったんです。
公開されたころは忙しくて忙しくて、留学に旅立ってしまいタイミングを逃してしまっていました。
私は以前から新海誠さんの作品が好きで、『言の葉の庭』を観た後は憂鬱だった梅雨を楽しめるようになり、新宿御苑にも実際に足を運んだり。
一つ一つの言葉のセンスや絵の美しさが素敵ですよね。
ということで『君の名は』を映画館で観たい!とうひそかな想いをアメリカで達成することが出来ました!
感想としては。
名声を知っていたためかなり期待してみましたが、それでも期待を上回るものでした。
笑いあり、感動あり、恋愛あり、友情あり、家族あり、シリアスあり
要素としてはかなり盛り込まれています。
もう一度みたいと思わせる映画でした。
私のこの感動を表したいのも山々ですが、今回感じた2つについて書きたいと思います。
一つは、「メディア」としての『君の名』
今回日本のポップカルチャーやメディアの影響の授業を履修している関係で、どうしてもそういう目線で映画を見てしまいます。(そういう意味で純粋に映画を楽しむことが出来なかったのが残念ですが、、、)
そこで感じたのは、「アニメ」という不思議さ。
この作品、というか新海誠さんの作品は風景描写がめちゃくちゃリアルです。iPhoneのシーンや紅葉なんてまるで本物かと錯覚するほど。
でも、人物だけはアニメ。
違和感もなく、馴染んでいる。
現実に彼らのような顔をした人なんていないのに、当たり前かのように受け入れることができるのは日本のもつ「無臭性」ならではなのかなと。
また、女性らしさの強調も感じました。
日本のアニメではよく女性が「オブジェクト化」されます。女性の胸を強調したり、随所で女性のスカートの中が見えるシーンがあったり。
観客を喜ばせるためのテクニックとでもいうのでしょうか。
それが『君の名は』でも例外なく使われていて、これは売れるアニメでは大事なことなんだと実感しました。(ちなみにジブリではこういうことはあまり見られない気がします)
そして2つ目は、完全に個人的なことですが東京に対するノスタルジーを感じたこと。
先程も言ったように、描写がとてもリアル。
新宿駅や電車なんてまさにそのものでめちゃくちゃ懐かしくなりました。
私が毎日歩いていた場所。
毎日見ていた風景。
毎日聴いていた音。
毎日生きていた世界。
それが、ここにありました。
留学していなかったら自分は今もきっとあの場所にいたはず。
そして、満員電車に揺られて大学まで行って、みんなとお昼を食べに行ったりカフェに行ったりおしゃべりしたり。ためにパソコンをいじって、たくさん寝て、そろそろ就活意識したり。
そんな一見きらきらしたような、そんな世界に自分はいたんだなと。
『君の名は』では岐阜と東京が出てきて田舎と都会のコントラストも描かれています。
岐阜はまるで今の私のいるサンタバーバラのよう。
交通は不便だしお店も微妙だしとっても不便。でも自然が豊か。
対してなんでもあるオシャレな東京。でも忙しない。
私はそんな忙しない東京が好きではありませんでした。
でも、この映画を見てどうしようもないノスタルジーの感覚に襲われたのです。
涙が思わずこぼれてしまうほど。
そこには私の人生があって。
東京で生きてきた私の故郷はやっぱり東京なんだなと。
嫌だと思っても間違いなく私は東京に親しみを抱いていて。
慣れ親しんだ街。
初めて、東京が恋しいと思いました。
今までは早く東京からでたかったけれど、自分の帰属意識は東京なんだと気付きました。
そして同時に思ったこと。
「帰りたくない」
とっても矛盾してますが(笑)、帰りたくないと思いました、東京に。
帰ったらまたあの忙しない日々。
この日常の歯車にに巻き込まれる。
きらきらしたものに取り囲まれて自分を失ってしまいそう。
忙しない街にもう一度帰ると思うとぞっとする。
東京が懐かしいけれど、でも同時に帰りたくない。
こちらではのびのびしている分、東京という枠に収まりたくない、そんな風に思いました。
東京は日本の象徴でもあって。
そこにはある一つの「成功への道」がはびこっています。
東京という街、というか東京にある価値観にもう収まりたくない、東京に戻ったらこっちで広がった価値観がまた小さくなるんじゃないか、そんな恐怖にも襲われたのです。
私はここ、サンタバーバラが好き。
でも、東京もやっぱり懐かしい。
どちらが良い悪いではなくて、そこには大きな違いが存在すること。
そして、ずっと好きじゃなかった東京が自分のアイデンティティの一部であること。
そんなことを自覚しました。
とにかく、とてもとても素敵な映画でした。
たくさんの学びと気づきと感情の変化と。
刺激をありがとう。
また、頑張ります。
アメリカのラーメン屋さんのお味は?
今日、友人とラーメン屋さんに行ってきました!
最近オープンしたばかり(といっても去年の11~12月頃だそう)で、私の住む地域では唯一のラーメン屋さん!!
日本では当たり前のように溢れていて、大学の近くのラーメン屋によく足を運んだものです。(飲み会後とか、、なかなかなデブ活ですが(笑))
友人の運転でお店まで行くとなんと行列が!
日本ではラーメン屋で行列なんて当たり前かもしれませんが、ここはアメリカ。
ましてやアジア人の少ないサンタバーバラ。
びっくり。
しかもアジア人のお客さんが多いものの、アジア人以外の方もたくさんいらしています。
ラーメンはどうやら世界的にも人気な食べ物のようです。
最近ニューヨークの一風堂がとても人気なことも話題になりましたよね。
ちなみに一風堂は今度サンフランシスコとバークレーにも進出するそう。うらやましい、、、。
そういえばフィリピンを訪れた時も一風堂の大きな垂れ幕を目にしたなあと思い出しました。
一風堂、恐るべし。
しかし残念ながらサンタバーバラには一風堂は来ないので、私が今回訪れたのは日本人の方が経営するラーメン屋さん。
待合席では英語で書かれたハイチュウが置いてあり、ハイチュウを食べながら待つこと数分。
席についてメニューをみると、こちらのお店では主に「とんこつ(白)」「とんこつ(黒・ガーリックオイル)」「とんこつ(赤・辛い)」「醤油ラーメン」がメインメニューで展開されていました。
アメリカでは見慣れないワードばかりでちょっとばかし興奮。
そして悩んだ末、一番スタンダードと思われる「とんこつ(白)」を注文!
すぐ出てくるラーメン。
お味のほどは、、、。
お、おいしい。
普通にとんこつ。
でも、味が足りない感じがしてしまう。
スープもアツアツではない。
胡椒とかラー油が欲しくなる、そんな味でした(もちろん頼みました)。
とってもおいしかったけど!!
きっと日本に比べてスープの出汁を取ることにあまり時間をかけていないのかなと。煮込みが足りないから、とんこつの独特の濃厚さがあまりない。
アメリカの方が味が濃いイメージでしたが、日本食に関しては違うようです。
思い返すと、アメリカで食べた日本食はいつも味が何か足りないのです。
以前日本食レストランで味噌ラーメンを食べたときも、味噌の味が薄くて物足りませんでした。
おそらく、あまりにも味噌やとんこつの味が濃いと初めて食べるアメリカ人には刺激が強すぎるのでしょう。
私たち日本人は日常的に口にしていますから舌は慣れ切っていますし、ある意味味に対して鈍感になっているのかもしれません。
そう思うと、初めて食べる人に対する配慮って大事だなと。
例えば日本食を外国人に振る舞う時。
これ、外国にはない味かな~と思うものは気持ち味を薄くしてみる。刺激を小さくしてみる。
そうして試してもらっていけそうだったら、濃くしていく。
そんな風に出来たらより異なる文化の食べ物も受け入れやすいかもしれませんね。
それにしても、ラーメン美味しかったな。満腹。
「加工」された女性たち―メディアの力
今日、メディアの影響に関する授業で、メディアでどのように女性が描かれているかが取り上げられました。
近年話題にもなっている、モデルの細すぎる問題。
これは歴史的にずっと女性たちがメディアで描かれてきたものなのです。
例えばディズニーのプリンセスたち。
不自然にくびれがかっくんかっくんになっていてありえないほどへこんでいます。
アメリカの少女なら誰もが一度は手にするバービー人形。
実は彼女のような体を持つ女性は現実には0.001%しかいないそう!
それでもいるんだ、と驚きましたが(笑)いかにメディアで女性の美しさが誇張されているかわかりますよね。
例えば、授業で観たこの動画も衝撃的でした。
Doveが作成したモデルがフォトショップ(写真加工ソフト)の手によってどんな風に加工されていくかの過程が描かれています。
こんな風に「作られた」女性像がメディアに溢れ、それを毎日目にしているが故に若い女性たちは「女性は細くて、胸が大きくて、美しくてスタイルが良くあるべき」といった固定観念がしみついてしまうのです。
美しいものが人間は好きですから、メディアでこのような人ばかり取り上げられることは当然といえば当然かもしれません。
そして、これは何もアメリカに限った話ではありません。
日本において、アニメのキャラクターたちの「女性らしさ」の誇張はなかなか目を見張るものがあります。
肌感覚ですが、日本のアニメキャラの誇張はアメリカよりも強いなと。
しかも、日本女性の方がグラマラスという点でアメリカの女性よりはスタイルが良くありません。それなのに、アメリカよりも誇張する。
この矛盾って何なんだろう。
そして、アメリカではこのDoveのようにそうした描き方に対して批判的な人々が声をあげるのに対し、日本ではあまりそういった反対意見に触れることが少ないです。
2次元、3次元の差でしょうか?
Doveはこの動画の男性バージョンや、女性のありのままの美しさを推進するキャンペーンを多数行っています。
そういった取り組みが少しでも広がれば、と思います。
同時に、アメリカは肥満大国としても有名です。
見た目や健康に気を使う女性もたくさんいますが、一方で食べたいものを食べ、太っていても気にしない人も多数。
年齢にもよりますが、アメリカという国は多様だからこそ、とても極端に層がわかれている気がします。
やっぱり不思議な国。
今後、アメリカのメディアでの女性の描かれ方に注目してみよっと。
全米が熱狂するスーパーボウルを観てみた
本日2月5日。
アメリカではスーパーボウルが開催されました!!!
スーパーボウルとは、アメリカ最大のスポーツイベントと称される、プロアメリカンフットボールリーグ・NFLの優勝決定戦のこと。
毎年高視聴率を獲得し(なんと25年連続40%以上だそう!この大きい国の3人に1人以上が観ているなんて、、!)、ハーフタイムショーにも注目が集まっています。
今年のハーフタイムショーはレディーガガでした!
正直いってアメフトのルールを全く知らない私にとってはスーパーボウルに対する興味はゼロだったのですが(笑)、周りの友人たちの興奮具合に流され観てみました。
私の寮は食堂があるのですが、いつもは質素な食堂でもフライドチキン・オニオンリング・ハンバーガー・ピザ・ナチョス・飲み物などアメリカーーンなジャンクフードをこれでもかと提供し、スーパーボウルを盛り上げていました。
アメリカではピザやチキンを片手にスーパーボウルを観戦するのが習慣らしく、サンクスギビングの次に食糧が食べられる日だとか…!
たしかに友人たちの多くはピザのデリバリーを注文したり、たくさん食糧を買い込んでみんなで観戦準備をしていました。
さらにスーパーボウルのシーズンに合わせてピザ屋なども限定セールや無料配達を実施しており、ビジネス的にもなかなか美味しい時期みたいです。
そして面白いなと思ったのは、スーパーボウルの試合…
ではなく(笑)、
試合の合間に流れるCMでした。
(実際試合も最後の最後で追いつき、延長からの逆転勝利というかなりクレイジーな試合で面白かった!!!)
先程も述べた通り、スーパーボウルはアメリカで最も高い視聴率を獲得する番組。
日本でいう紅白歌合戦といえばイメージがつきやすいでしょうか。
それくらい、みんなが観るのです。
そこでうまく企業のアピールが出来れば、さいっこうですよね。
ということで毎年スーパーボウルのCMはめちゃくちゃ面白いし、どの企業も腕によりをかけて作り上げてきます。
そしてCM費用もとっても高い。
なんと30秒で約6億円!!!(どんどん高騰しているそう…)
ええええええ
でも、そのくらい影響力があるのがスーパーボウルなんです。
そして観客たちもそれを知っているため、皆きちんとCMを観ます。
面白いから。(笑)
今年はどんなCMなんだろう、そんなワクワクもスーパーボウルは秘めているんですね。
これは民放である紅白では成し得ないことですね。日本の企業が腕によりをかけて競うCMも観てみたいと思ったり。
余談ですが、日本のCMは本当によくできていると思います。アメリカは単純でシンプルなCMが多いですが、やはり文化的差異か日本のCMはとてもコンテクストやメッセージに余白を持たせていて、ストーリー性が強い感じがします。とっても好き。余談ですが。
しかもスーパーボウルではCMの時間が異常に長い。
試合が始まったと思ったらすぐCM。
点が入ったかと思ったらすぐCM。
でもみんな席を立たない。
観ちゃう。
どのCMもスーパーボウルと関連づけてあったり、セレブを起用していたり、ウィットに富んでいたりとこだわっている様子が伺えます。
ハーフタイムショーの前のCMはペプシでしたが、CMの終わりに3、2、1とカウントダウンをし、ペプシの「ゼロ」とかけていて上手いなと。
(ハーフタイムショーの前のCMとかさらに金額高そう…)
そしてスーパーボウルの盛り上がりもものすごい。
点が入る度に寮全体が揺れる揺れる(笑)
みんなが叫んだり暴れたりする様子が手に取るように浮かんで、全身でスポーツを楽しむ気質を感じました。
アメリカにいるからこそ、スーパーボウルをリアルタイムで観戦でき、また一つアメリカの文化を知りました。
それにしてもピザとチキン、美味しかったな。
多様性って?今直面している危機
今日Donation Walkというボランティアに参加してきました。
ここでは、家を一軒一軒回り、何か使っていない缶詰・パスタなどの食料がないか聞いて回り、集めて食料を必要としている人のために供給するというものです。
朝9時に集合し、どんな文言でいくのか、愛想の悪い人の場合にはどのように対処するかなどのロールプレイを繰り返ししてから、実際に訪問していくことになりました。
もうドッキドキ。
みんなみたいにスラスラ言えないし、ましてこちらは頼む側。
その頼む側がつっかえつっかえで大丈夫かな。
すごくドキドキしましたが、あきらめずに練習しようと思い挑戦し続けました。
そうすると、意外にもうまくいったのです!!!
ハッピー!!!
というか愛想の悪い人は全然いませんでした。
(土曜の朝だったので二日酔いっぽい人、パーティーの形跡がある家が多かったですが…)
ちょっとまた自信がつきました。
しかし今回の本題はこれではありません。
DOnation Walkでは2人ペアで行いました。
私は4年生の女の人と。
家を回っている間、彼女と様々な話をしました。
彼女の両親はメキシコ人であること。
ロサンゼルスで生まれ育ったこと。
田舎よりも都市が好きなこと。(私のいるサンタバーバラはめちゃくちゃ田舎です)
そう話していく中で見えてきたことがあります。
それは「多様性」って何だろう、ということです。
彼女はロサンゼルスという人種的多様性に溢れている街で生まれ育ちました。
しかし、彼女はヒスパニックコミュニティでずっと暮らし、ほとんどスペイン語で日常も会話していたそう。そのコミュニティでは英語も話せない人もたくさんいて、でもそれでも生活に支障はないとのこと。
そして、彼女はそのコミュニティに戻りたがっていたのです。
サンタバーバラという土地はアジア人・ヒスパニックの多いカリフォルニアでは珍しく白人の多い街です。もちろんたくさんヒスパニックはいますが、アジア人もいるといっても中国人ばかり。カリフォルニアの中でもちょっと特殊なのです。
そんなサンタバーバラにいて、メキシコのバックグランドを持つ彼女はどうしても「アウトサイダー」という意識が芽生えるそうなのです。
そして、同じ人種ばかりだったあのコミュニティが懐かしいと。
その感覚には同意します。
私もやはり、白人が多い中でアジア人の顔を見るとほっとしてしまうのです。
そしてなぜか仲間意識が芽生える。そして友達になりやすく、結果的に固まってしまうのです。
これは私の留学でも気を付けている点ですが、気が付いたら友達になるのはアジア人ばかりだったり。
たとえアメリカで生まれ育ったアジア人でも、やはり習慣・考え方などが似ていたり、お互いの文化に対する興味があるのです。
だから話しかけるし、会話もはずむ。
そうやってコミュニティが形成され、どんどん排他的になってしまう。
彼女の話を聞いていて、カリフォルニアという多様性の象徴のような州においても、意識の上での多様性は確立されていないのだと実感しました。
そして、人種という壁を乗り越えることがいかに難しいことか。
私はカリフォルニアの多様性を受け入れ、そこから新しいものを生み出す姿勢に惹かれていました。
しかし、現実はそう甘くなかったようです。
確かに人種的に様々な人がいる。お互いの存在は尊重している。でも、あくまで本当に交わってはいないのです。
でも、ただの「尊重」だけでなく「同調」までする必要があるのか。
あれ。
同調する必要はないんじゃないのかな??
同調までしたら、完全に相手の文化に染まることになる。
それだと多様性が失われてしまう。アイデンティティがなくなってしまう。
私は今まで多様性を達成するためには、「同調」が必要なのかなと何となく考えていました。しかし、彼女の話を聞き、「同調」は絶対じゃないんだと気づいたのです。
ヒスパニックのコミュニティが大きくなり、きちんと確立されたのは彼らのアイデンティティがロサンゼルスという地において「尊重」されたから。
周りが理解したから。
これこそが、多様性の第一歩なのではないでしょうか。
彼女がサンタバーバラで不安に感じる理由は、この地できちんと自分の文化が尊重されているのか疑問だから。
でも、私は尊重されていると思います。
アジアに関しても、皆がアジア料理を食べ、言語にも触れ、私の文化も「尊重」してくれます。こちらに来て、日本人だからこの子は…など国が理由で批判されたことはありません。むしろ、国のバックグランドを理解した上で考えてくれます。
お互いの文化や国を理解し、尊重する。
シンプルだけどその資質がカリフォルニアにはあるんだなと。
さらに今日Uber(ウーバー)に乗った時。
ドライバーさんはイラン出身のアメリカ育ちの人でした。
彼は現在物議を醸している新大統領・トランプについてとても心配していました。
自国が攻撃されるのでは。第3次世界大戦になる。自分のアイデンティティが失われてしまう。
そんな風に話す彼に、アメリカが変化の道をたどっていること、そして長い間養ってきた「尊重」という文化が今危ぶまれていること。
そんな危機感を実感しました。
多様性。
それがあるからこそのアメリカのダイナミズム。
でも、これからどうなっていくんでしょうか。